特急東海号の思い出
東海道線では、(寝台特急であるサンライズ車両を除く)JR東海の車両で運行されていた、
特急列車『東海(東京〜静岡)』が、3月18日改正で廃止されてしまった。
同じ373系で運転される快速『ムーンライトながら』とは違い、一番正当な(??)使われ方だったので、
さびしい限りですが、残る『ワイドビューふじかわ』などの末永い活躍をお祈りします。

特急東海号(Wikipedia)


清水駅にて停車中の『東海』号。
接近案内の自動放送では『特急ワイドビュー東海○号』というのに対し、
駅員や車内放送は『特急東海○号』という。別に変わりはないのですが…。
  

左:清水駅を速度を上げて発車してゆく東海号、右:去りゆく東海号
特急らしからぬ特急列車であることや、新幹線などにより、需要は高くなかったようだ。
停車駅:静岡⇔清水⇔富士⇔沼津⇔三島⇔熱海(以降、JR東日本区間)
     熱海⇔湯河原⇔小田原⇔平塚⇔大船⇔横浜⇔川崎⇔品川⇔東京

新幹線の補填的意味合いもあっただろうが、運転時間帯が時間帯なだけに、
活用するのは難しかったようである。2時間間隔で、需要はあっただろうか。


編成は373系3連を2本つないだ6連。
1号車と2号車を指定席に、3号車〜6号車が自由席、
2号車及び5号車が喫煙車。3号車と6号車が動力車だった。
1号車と4号車にトイレがつき、1号車と4号車以外の車両に、
固定ボックス席が設置されていた。同じ373系を使用するふじかわ号や伊那路号とは違い、
東海号は、自由席車にある、この席を自由席扱いで使用することも出来た。


この列車にはグリーン車がなく、列車自体もローカル路線主体での仕様だったため、
幹線である東海道本線を走る列車としては多少の見劣りはした。
この東海号には、せめて371系『あさぎり号』と同じクラスの車両を準備して欲しかった。


廃止理由としては『乗客が少なかったから』と、JR東海は説明したが、
おそらく『もう、東海号運行の意味合いもなく、役目を終えた』という理由もあるのではないでしょうか。
過去の名列車である急行『東海』の特急格上げから10年あまり。はやくも廃止されてしまった。
JR東海165系最後の優等列車だった急行『東海』。既に富士川号が特急『ふじかわ』となったあと、
1996年3月16日に、飯田線の『伊那路』とともに特急化された。同時に373系に置き換わると、
モノクラス編成6両の特急となり、静岡と東京の間を往復し続けていた。
しかしながら、新幹線と同じ特急料金にされていたため、利用客のほとんどは新幹線に流れていった。
もしも、新幹線の特急料金より少しでも安かったら、まだ需要は大きかったかもしれない。


私が最初に特急東海号に乗ったのは12月9日。裁判員制度に関するセミナーが静岡であり、
学校での課外授業の一環で聴きに行った帰り、同伴した担任が、一緒に聴いていた同級生たちと、
食事に行こうと誘ってくれた。だが、これに賛同すると帰れなくなるため、それを断って、急いで駅へ。
切符を買って飛び乗ったのがこの列車だった。後続の普通列車でも間に合ったが、あえて飛び乗った。
在来線特急には、高山線の『ワイドビューひだ』に乗ったくらいで、比較の仕様はなかったものの、
乗っていて気持ちのいい列車でした。時間ではなく『ゆったりな時間』を売った特急だったと思う。
写真は、東海号の車内。乗降扉が開くと、外の風が入ってくる。せめてデッキと客室の間に扉を…。


それからというもの、時間的に合い、金銭に余裕があれば、この列車を利用した。
やはり、普通列車には無い快感さ。新幹線には無い世界がそこにはあった。
*写真は下り『特急ワイドビュー東海3号静岡行』夜汽車のような雰囲気が出ている。


この普通車のみの特急列車は、今まで多くの人を運んできた。
新幹線の利用促進を過激なまでに(?!)行うJR東海。
急行『東海』が、特急に格上げされたのは、単に165系から置き換えたかったからだけなのか。
それとも…、在来線利用客から、より多くの乗車料金を得たかったのか。
いずれにしても、新幹線の陰に隠され、不遇の扱いを受けていたのは違いないと思う。


特急東海号の最終日、いずれの指定席車も満席だったと聞く。
最終日ばかりは、とても目立った『日常』の姿で、東海道線を疾走した。
この列車の廃止により、373系の東京乗り入れは、
快速『ムーンライトながら』及び、東京〜静岡の『送り込み』普通電車のみとなっている。


新幹線の陰に隠れ、決して目立つことのなかった特急列車『ワイドビュー東海』。

18時に沼津駅にいると、東海号の入線案内放送が、未だに聞こえてくるような感じを受けます。
『まもなく4番線に、特急ワイドビュー東海4号、東京行きが6両編成で到着します…』
1995年3月16日〜2007年3月17日までの、12年間にわたる活躍、本当にご苦労様でした。
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